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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)1817号 判決

原告 ポンド・マクエナニー・アンド・コムパニー

被告 国

訴訟代理人 栗谷四郎 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は被告は原告に対して米貨二七七三七ドル八九セント及びこれに対する昭和一七年一一月二六日から支払済まで年六分の金員を支払え訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として

原告は昭和一六年五月一六日現在において訴外伊藤忠商事株式会社に対し履行期到来済の二七七三七ドル八九セントの立替金債権を有していた。ところが被告は昭和一六年一二月二二日に敵産管理法を制定公布し右訴外会社を合併した訴外三興株式会社は昭和一七年一一月二六日右法律第三条の規定に基き原告に対する前記債務の支払を免れる目的で右三条に要求されている金額である金一一七八八六円〇三銭を大蔵大臣を通じて被告の特別予金勘定に支払つた。右払込により右会社と被告との間に原告を受益者とする第三者のためにする契約が成立したものと解すべきでこの契約により被告は右会社の原告に対する債務を支払い一切の責任から免れしめることを約束したものである。よつて原告は本訴状を以て右契約に基く利益を享受する旨の受益の意思表示をなす。よつて原告は被告に対し右債権額及びこれに対する払込の日から支払済までニューヨーク州法又は同地の判例法による年六分の遅延判損害金の支払を求める。

仮に右払込により第三者のためにする契約が成立しなかつたとしても右払込をなした債務者はその債務を免れるのであるが敵産管理法は国が債務者に代つて債務の履行をなし債権者に損害を及ぼさしめない趣旨であり、同法の運用により敵産たる原告の債権は国により管理保全せられたものである。国は右の如く管理保全せられた敵産のうち「日本国内にあつたもの」については連合国財産の返還等に関する政令連合国財産補償法によつてこれを権利者に返還する具体的手続を決めたが本件の如く「日本国外にあつたもの」については未だその措置を講じていない。よつて原告は平和条約の発効により被告に対し敵産管理法によつて管理保全中の敵産たる原告の債権の返還として請求の趣旨記載の金銭の支払を求める(昭和一七年一一月二六日には弁済期到来済で年六分の遅延利息発生中のものであつた)と述べ

原告の三興株式会社に対する債権が「日本国内にあつたもの」でないことは(1) ドル表示の債権であること(2) 債権者がニューヨークの者であること(3) 債務者伊藤忠商事株式会社ニューヨーク支店とニューヨーク所在の原告との間でニューヨークにおいてなされた米国産木綿類の継続的売買に関する清算勘定尻であつて、この清算はニューヨークにおいて既に繰返し行われたこと(4) 債務者の本店は日本にあるがニューヨーク支店のなした取引であるからニユーヨークが債務者の所在地と見らるべきこと等によつて明かである。被告主張の返還又は補償の申請をなさなかつたことは認めると述べた。

被告代理人等は主分同旨の判決を求め、原告が訴外伊藤忠商事株式会社に主張のとおりの立替金債権を有していたこと右会社を合併した訴外三興株式会社が原告主張のとおりの払込をなしたことはいずれも争わない。その余の原告の主張は争うと述べ、被告の主張として別紙書面のとおり陳述した。

理由

原告が訴外伊藤忠商事株式会社に対して昭和一六年五月一六日現在で原告主張の立替金債権を有していたこと、右会社を合併した訴外三興株式会社が昭和一七年一一月二六日敵産管理法第三条に基いて原告主張の金銭を被告の特別予金勘定に払込んだことは当事者間に争ない。

右払込の手続は被告主張のとおり敵産管理法第二条第三条同法施行令第一〇条により大蔵大臣から邦貨に換算して旧横浜正金銀行の特殊財産管理勘定に払込まれたものであることは原告も明かに争わないところである。右払込によつて右会社は原告に対する債務を免れたことは同法第三条によつて明かである。

右払込金は右銀行において保管せられ、昭和一八年四月一日大蔵省告示第一二四号を以て同銀行に預託された敵産として同銀行が敵産管理人となりその管理をなしていたこと、その後日本国のポツダム宣言受諾に伴い連合国財産ノ保全ニ関する件(昭和二〇年九月二六日大蔵省令第八〇号)連合国財産の返還等に関する件(昭和二一年五月三一日勅令第二九四号)等によつて敵産管理人は連合国財産管理人とされ、次いで横浜正金銀行は閉鎖機関に指定され昭和二一年七月三一日大蔵省告示第六〇五号をもつて連合国財産管理人として新に日本銀行が選任され、管理事務の一切を承継したことは当時の法令に照して明かであり原告も明かにこれを争わないところである。

ところで右の如く横浜正金銀行の特殊財産管理勘定に払込まれ日本銀行が引継いて管理している原告の訴外会社に対する債権に代る金員は平和条約第一五条(a)項、連合国財産の返還等に関する政令第二条、第三条第六号により日本国から原告に対し返還せらるべきものと解すべきである。

原告は平和条約第一五条(a)項中に「日本国内にあつたもの」の文言あるを根拠として原告の本件債権はそれに当らず「日本国外にあつたもの」であると主張する、なるほど原告の訴外会社に対する債権自体は原告主張のように日本国内にあつたものでないといえるけれども前認定のように原告の債権は敵産管理法その他の法令により敵産として日本銀行に管理せられていたものである以上平和条約第一五条(a)項に基く国の返還すべき連合国財産の中には本件の如き財産も含まれるものと解するのが相当である。

(日本銀行が管理する特殊財産管理勘定に属する資金が連合国財産とみられることは連合国財産の返還等に関する政令第二条第三項第六号によつて明かであり右財産が本邦内にあると見るべきことも明かである)ところが原告は国に対して被告主張のような返還の申請をなさなかつたことは原告も認めるところであるから返還政令第二五条の二第四項第一七条一項によつて原告の被告に対する返還請求権は消滅したものというべきである。

なお原告が前記払込による損害の補償を求めているとしても原告が国に対して被告主張のような補償の請求手続をなさなかつたことは原告の認めるところであるから原告は連合国財産補償法第一五条第三項により補償請求権を放棄したものとみなされたものというべきである。

よつていずれの点よりするも原告の被告に対する本訴請求は理由ないものであるから失当としてこれを棄却すべく訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一)

被告の主張

一、訴外伊藤忠商事株式会社(以下「訴外会社」と略称する)の原告に対する債務については、敵産管理法(昭和十六年十二月二十二日法律第九十九号、廃止昭和二十年十一月二十五日大蔵省令第百一号)第二条、同法施行令第十条に基ずき、昭和十七年十一月五日訴外会社において大蔵大臣より当該債務を換算率一ドル対四円二十五銭により邦貨に換算して旧横浜正金銀行の特殊財産管理勘定に払い込むよう命令され、同月二十六日訴外会社は右命令に従つて邦貨金十一万七千八百八十六円三銭を払い込み、これが払い込みによつて訴外会社の原告に対する債務は同法第三条に基ずき消滅に帰し、この資金は爾後同銀行において保管せられ、昭和十八年四月一日大蔵省告示第一二四号をもつて右のように同銀行に預託せられた敵産たる現金について同銀行を敵産管理人として管理されて来たのである。

二、その後日本国のポツダム宣言受諾に伴い、連合国財産ノ保全ニ関スル件(昭和二十年九月二十六日大蔵省令第八十号、廃止昭和二十六年一月二十二日政令第六号)第三条、第五条により敵産管理人は連合国財産管理人とされ、次いで横浜正金銀行は閉鎖機関に指定されることになつたので、昭和二十一年七月三十一日大蔵省告示第六百五号をもつて連合国財産管理人としての同銀行を解任し、新に日本銀行を連合国財産管理人に選任し同銀行が横浜正金銀行の連合国財産管理事務一切を承継した。

三、前記のとおり横浜正金銀行(後に日本銀行)の特殊財産管理勘定に払い込まれた原告の訴外会社に対する債権に代わる金員(円貨)は、和平条約第十五条(a)項(補償部分を除く)、連合国財産の返還等に関する政令(以下、返還政令と略称する。)第二条第三項第六号により、日本国から原告に対し返還せらるべきもので、従つて原告は右平和条約第十五条(a)項、返還政令第二十五条の二により平和条約の効力発生時から九ケ月以内に返還の申請をなすべきものであるところ、原告は右申請をしなかつたので、平和条約第十五条(a)項、返還政令第二十五条の二第四項、第十七条第一項により原告の右返還請求権は消滅したのである。

四、原告は、訴外会社の適産管理に基く右特殊財産管理勘定えの支払を目して、訴外会社と国との間に原告を受益者とする所謂第三者のためにする契約がなされたものである。と主張されるが、訴外会社の右支払は、被告国との間の契約に基いてなされたものではなく、戦時特別措置として法令に基いてなされたのであつて、原告主張の如き契約関係の生ずる余地のないものである。このことは前記平和条約第十五条(a)項及びこれに基く連合国財産の返還等に関する政令(昭和二十六年一月二十二日政令第六号)第二条第三項第六号、連合国財産補償法(昭和二十六年十一月二十六日、法律第二六四号)第四条第一項第二号第七条第一項等の各規定に徴するも自ら明かである、といわなければならない。

五、なおまた、原告の訴外会社に対する債権が前記のとおり邦貨をもつて預託せしめられたことにより昭和十七年十一月二十六日消滅したのであるが、この戦時特別措置によつて原告が右三記載の返還請求権を行使したとしても、これにより満たされない損害を他に被つているのであればこれについては平和条約第十五条(a)項末段で日本国が原告に対しその損害を補償する義務を負い、その具体的手続として連合国財産補償法が制定されたのである。そして右補償法第一条ないし第四条、第七条、第十五条に則り、平和条約の効力発生時から十八ケ月以内に原告から日本国に対し補償請求手続をとるべきものであるところ、原告は右手続をしなかつたので、同法第十五条第三項により、原告の右補償請求権は放棄されたものと看做されたのである。

六、以上の次第で原告は被告に対して平和条約第十五条(a)項に基き財産の返還又は損害の補償を求める権利を有していたにも拘らずこれら請求権は総て消滅に帰したわけであるが、これにつき以下若干ふえんして説明を加えよう。

(1)  先ず、前記一のように原告の訴外会社に対する債権につき訴外会社をして旧横浜正金銀行に払込ましめてこの債権を消滅せしめたことが敵産管理法上合法的な措置であつたことは疑あるまい。けだし、同法第一条第二項において敵産とは敵国人に属する財産と定義しているところからして右債権がその行為地又は履行地がどこであるかにかかわらず右にいう敵産に該当することは明らかであり、従つて政府はこれに対し同法第二条に基き所要の事項を命ずることができ、本件においてはこれに則り訴外会社、即ち敵国人に対し債務を負担する者をして旧横浜正金銀行の特床財産管理勘定に支払わしめたのであるから同法第三条に基き右の支払によつて原告の訴外会社に対する債権は消滅に帰したものだからである。しかして右管理勘定に払込ましめた資金は訴外会社の債務につき敵産管理法に基く政府の命令により支払わしめたものであつて、この支払により訴外会社は債務を免れたわけであり、しかもこれが資金は敵産として敵産管理人により管理されて来たのであるから、右資金は原告の訴外会社に対する債権に代わる性質をもつ財産というべきであることは多くいうをまたないところであろう。

ところで平和条約第十五条(a)項では「日本国にある各連合国及びその国民の有体財産及び無体財産並びに種類のいかんを問わずすべての権利又は利益で、千九百四十一年十二月七日から千九百四十五年九月二日までの間のいずれかの時に日本国内にあつたものを返還する。」と定められているところ右管理勘定に預託されている資金が日本国内で管理され、日本国内にあつた財産であることは疑ないであろうし、その時期も右所定の期間に該当することは明らかであるから、右条項により日本国はその返還義務を負担していたことは否定され得ないところと考える。このことは同条約に基ずく返還政令第二条第三項第六号に連合国財産としてわざわざ「日本銀行が管理する特殊財産管理勘定に属する資金」と掲げていることからも十分首肯され得ることであろう。

かようなわけで原告が訴外会社に対して有していた債権は日本の法令上合法的に右の管理勘定に属する資金に変ぜしめられていたのであるから、専ら右資金について平和条約及び返還政令の適用が考えられるべきであり、従つて、このほかに既に合法的に消滅に帰した債権の所在いかんというが如きことを問題にするのは全く無用なことといわなければならない。

(2)  次に損害の補償請求について説明しよう。平和条約第十五条(a)項では、「この財産が千九百四十一年十二月七日に日本国に所在し、且つ、返還することができず、又は戦争の結果として損傷若しくは損害を受けている場合には、」補償すると定め、また連合国財産補償法第三条第一項には「昭和十六年十二月八日において本邦内に有していた財産について戦争の結果損害を生じたときは」補償すると定められている。ところでもし原告の主張が、元来ドル貨の債権であつたものを円貨資金に変ぜしめた敵産管理措置によりその後円貨の下落により生じた損害の賠償を求められるとした場合に、右条約及び法律の適用の有無を考えると、先ず原告の訴外会社に対する債権が開戦時に存在したことは争いのないところであるから、次に当該債権の所在が問題となつて来るわけである。これについては通説の解くように、元来債権の所在地とは当該債権の引当てとなるべき財産又は債務者の所在地にある、と解すべきものである。即ち、物の引渡を求める債権については勿論のこととして、金銭債権について考えても、これらの債権の侵害ということはその引当てとなるべき財産又は債務者に対する行為であるし、また任意履行のない場合も債務者の財産又は債務者の所在地で強制的手続を執らざるを得ないわけであり、現に、原告の訴外会社に対する債権が、日本国の敵産管理法に基すく措置により消滅せしめられたのも、一に債務者が日本国内にあつたからに外ならない。このことはさきのヴェルサイユ講和条約が金銭債権を決済手段に付するか否かを、債務者がその本国に「居住」するか否かにかからしめていることからも首肯されるのである(同条約第二九六条第一号、第二号)。そしてこのことは法人の場台も同様である。即ち、債務者が法人であるとき、又は債務者が、自然人若しくは法人格なき会社等によつて経営せられている企業体であるときは、同条約の確定解釈として「法人又は企業体の経済活動の中心地である本店の所在地」を基準とすべきでああるとされていることから自明であると考える。かようなわけで本件債権についても債務者の本店が日本国内にあつた以上、その行為地や履行地が日本国内でなかつたとしてもそれにかかわりなく、これが債権は日本国内にあつた財産といわざるを得ない。従つて原告において本件債権に対する戦時特別措置によつて何らかの損害を被つたとすれば、平和条約及び右補償法の適用があり、これに則つてのみ損害の補償を請求し得るに過ぎないのである。

七、仮りに原告の主張されるように、原告の訴外会社に対する債権につき敵産管理措置がなされたことによる資金ないし損害が平和条約、返還政令、補償法等にいう「日本国内にあつたもの」にあたらないとするなら、原告はこれらに基いては日本国に対し返還又は補償を請求し得ないわけであるが、原告は平和条約に基かないでこれらの請求をすることが許されるのであろうか。元来敵産管理措置は、戦時中日本国の法令に基き行われたもので、決して不法行為をもつて目すべきではないのみならず、その前後措置は戦後平和条約によつて定められるのか一般である。従つて平和条約等の実定法規に基かないでは、日本国は敵産管理措置による何らの債務をも負担すべき筋合のものではない。そして本件平和条約等の条項を見ると、戦争損害の補償につき種々の要件を規定し、これに該当するものでも一定の手続と一定の期間の下においてのみ請求することが許されるとしているのに、これら要件を充足しない戦争損害は無制約無限定に日本国は補償すると解するが如き不条理が果して許されるものであろうか。これらの条項の合理的解釈はむしろ逆に右の要件に該当しない損害は補償され得ない旨を定めているものと解すべきことは、自明のことと考える。

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